2010年03月04日(木)
元県副委員長岡村虎彦さん、やすらかに
元県副委員長の岡村虎彦さんが2日逝去され、本日しめやかに葬儀がとり行われました。私も弔辞を述べさせていただきました。その内容を紹介させていただきます。
岡村虎彦さんの逝去にあたり、慎んでお悔やみを申し上げます。そして心からの哀悼の言葉を捧げたいと思います。
岡村さんは、1926年佐世保で生まれ、海軍兵学校を、終戦の年1945年4月に卒業、海軍少尉となり、同年11月に復員されました。敗戦までは「生涯を軍人として生き、国のために生命を捧げる」という軍国主義の思想を信じて疑わなかったといいます。しかし、敗戦は人生の大きな転機となり、党員だったおとうさんや友人の影響も受け、一九五一年に日本共産党に入党されました。党歴は今年59年になります。戦後直後、おとうさんを援助する形で海運業をはじめ、以来高知土木出張所、土建労働に従事してこられました。
1961年に開催された第八回党大会に代議員として出席、この大会では全党の英知が結集された日本共産党綱領が確定しました。大会に参加した岡村さんは日本の国民を苦しめている二つの敵・アメリカ帝国主義と日本独占資本の支配を国民の力でやめさせることを通じ、資本主義の枠内での民主主義革命をめざす、その先に人間による人間の搾取も抑圧もない新しい社会、社会主義、共産主義の社会が開けてくるという壮大な展望が明らかにされました。この世界と日本の行方を照らす綱領路線に深い感銘を受けた岡村さんは、その実現のためにたたかうことを決意し、職業革命家の道にすすんだのです。そして翌年、妻悦子さんと結婚されました。
以来、高知地区赤旗分局長を皮切りに、高知地区機関紙部長、高吾地区委員長、香長地区委員長、県常任委員、県副委員長、県教育部長、統一戦線部長、農漁民部長、組織部長、文化部長、機関紙部長などを歴任されました。岡村さんは、まさに県党の創始者の一人であり、今日の県党発展の礎を築いてこられた大黒柱の幹部でした。この間、多くの同志とともに、1969年の山原健二郎初当選以来の連続十期当選、たくさんの県議、市町村議を誕生させ、地域、職場、学園に深く根を張った力強い党をつくってこられました。
私が高知大学の学生のとき、さらに卒業して民青同盟の専従として活動を始めたとき、いつも綱領や科学的社会主義の学習の講師を引き受けてくださったのが、岡村さんでした。岡村さんの講義はいつもわかりやすくまさに目からうろこが落ちる思いをしながら聞いたものでした。若い私たちに夢と希望をはぐくんでくださったのがまさに岡村虎彦さん、その人でした。
退職後のこの20年あまりは、病気とのたたかいでもありました。退職直後に脳こうそくを患い、大腸がんや胃がんにも侵されました。しかし、岡村さんはそのたびに不屈の闘志を燃やして、病魔と闘い続けてこられました。大腸がんは完全に克服されたとお聞きしました。昨年夏には目も見えない状態になったといいます。しかしつねに前を向き、未来を展望し明るく生きてきた岡村さんは、音声パソコンも使い、悦子さんや友人に赤旗の記事などを音読してもらって勉強し、貪欲に知識を吸収、社会変革の事業から離れることはありませんでした。
先日、岡村さんが居住している党支部の新しい仲間をお祝いする会が春野で開催され、私も出席させていただきました。その席で先日開かれた第25回党大会のことが話題となりました。昨年夏の自公政権の退場は日本社会に新しい時代を開いたこと、そのなかで国民のくらしを守り、一歩一歩政治を前にすすめる日本共産党の役割がますます大きくなっていることが話題になりました。そして日本共産党を強く大きくする10年間の「成長・発展目標」をやりあげることを通じて、日本の政治は、自民党政治から完全にぬけだし、アメリカいいなり、大企業・財界の利益最優先という二つの政治悪をただし、国民が真に主人公となる民主連合政府への道がおのずと開けてくる、とおおいに議論になりました。
岡村さんはその議論を目を輝かせて聞いておられました。そして自らの言葉で「民主連合政府を見届けるためにあと10年は死ねんね」とはっきりおっしゃったのです。それを聞いた一同は「そうそう、10年といわずおたがいに長生きして新しい時代を自分の目で確かめましょう」と大いに盛り上がったことでした。
民主連合政府を見届けることなく逝ってしまったのは無念だと思います。しかし虎さんが、熱い思いで私たちに語ってくれた民主連合政府がいよいよ見える時代になった、それは虎さんをはじめ幾多の先輩たちの不屈のたたかいあったからに他なりません。虎さんはそのたしかな息吹を感じながら永遠の眠りについたのだと思います。
岡村さんが病魔と闘い、83歳の生涯をまっとうできたのはひとえに最愛のパートナーであり、献身的に支えてこられた、おくさま・悦子さんのおかげだと思います。心にぽっかり穴が開いたような思いかと想像いたしますが、虎さんは、悦子さんとともに歩んだすばらしい人生をきっと喜び感謝していることでしょう。悦子さん、長い間ほんとうにお疲れ様でした。これから残されたもの同士、支えあって生き、いっしょに新しい時代を切り開く大きな仕事を成し遂げ、そのことを必ず虎さんの墓前に報告しようではございませんか。
岡村虎彦さん、どうか安らかにお休みください。そして雲の上から残された私たちのたたかいをあたたかく見守ってください。さようなら。
2010年3月4日 春名なおあき
Posted by 春名なおあき at 20時45分 トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
トラックバック
トラックバックURL
http://www.haruna-naoaki.jp/tb.php?ID=1001
※トラックバックは、スパム対策のため、一度内容を確認したうえで公開させていただいています。公開まで時間がかかるときもありますが、ご了承ください。
※トラックバックスパム対策として、このページのリンク(URL)を記事に含めて送信してください。
コメント
※コメントは、スパム対策のため、一度内容を確認したうえで公開させていただいています。公開まで時間がかかるときもありますが、ご了承ください。。
[ 送信は成功しました。確認が終わるまでしばらくお待ちください。 ]




